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引越しました

とりあえず、引越しました。
http://yamadarockets.blog81.fc2.com/
同じFC2だけど。

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たいへん

このブログ、ここんとこ毎日毎日エロコメントを消去するのがたいへん。
引っ越そうかなぁ。

焼肉さん太郎

yadg
確かに、焼肉のような味がする。
少し不気味。

どうして

「ボクは六月生まれで、オトーさん九月生まれでしょう?」
「ボクのほうが誕生日はやいのにどーしてオトーさんのほうが大きいの?」
これを子供が理解出来るように説明するのは難しい。
俳句ネタにはなりそうだけど。

ハイクの人

「あ、この人、ハイクの人だ。どーしてここに出てるの?」と息子が言った。
角川「俳句」2月号の巻頭カラーページに瑪論さんが載っている。

新年句会

新年句会に子供を連れて行ったおかげで何だかどっと疲れた。
懇親会で司会することになってしまって、その間も走り回るは歌うは踊るはで気になってしかたがない。
結局立ってるだけみたいな司会になってしまって申し訳なかった。
まあ、でも東京へ行っていろんな人と会うのはやっぱり刺激になる。
時々はこうして出かけてみたいが、子供が小さいうちは頻繁には無理だろうなあ。
写真は「銀に化けた」優夢さんと。
お会い出来てうれしかった。
優夢って本名なんだって。
gujyr

余技

秋櫻子の言う「余技」と万太郎の言うそれとは違うのだ。秋櫻子は「余技」を一段劣るものと、おそらく考えている。しかし、万太郎はそうは思っていない。「余技」こそが俳句にとって本筋であると思っているのだ。
 ここに万太郎の「余技」を貫くこころを読み取った。近代の俳句は、虚子を始めとする、本技として俳句を選んだものが主流をなすと考えられているのだが、それを拒むこころでもあろう。その本流派は「花鳥風詠」や「新興俳句」あるいは「人間探究派」といった旗印を掲げたり、主張を競いあったりしてきた。万太郎はそういう運動が俳句の本質を損ねてしまうと感じていたのではないか。
 俳句には大声を立てると失せてしまう微妙なものがあることを、万太郎はまず自らの作品に聞き取っていたのではないか。

われとわがつぶやきさむき二月かな   万太郎「春燈」

(「余技・無内容・影響-久保田万太郎小論」小澤實)


俳句のかっこよさって結局はこのあたりではないかと。

俳談

俳句というものを一般文芸と思うととんだ間違いを起こす。文芸のうちでも最も特殊の文芸である。若い人は俳句というものにのみ接して、他の文芸を見ないので、俳句で何も彼も詠おうとする、出来ないことまでしようとする。それをするのには他の文芸による方がよいという其処の判別がつかないのである。(昭和九年十一月)

諸君は大志がない。もっと他の創作界に踏み出して自由な手腕をふるって見る気はないか。それがあれば、俳句をいじくりまわして変なものにするようなことはせぬだろうと思う。ただ俳句という小さい家にこもって、そこでのみ仕事をしようとするから昏迷に陥るのだ。 -中略- 俳句は小さいから名を成しやすいかもしれないが、それだから俳句界を去り得ないというのは卑怯だ。(昭和十年十月)

埒を越えたものは俳句ではなくなる。(昭和十一年一月)

(高浜虚子「俳談」より)


はい、よくわかります。
そんなに怒らないで下さい。

自動車の止まりしところ冬の山 素十

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