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さて

若手や新人といった人たちはたぶん真剣に俳句と格闘しているのだと思う。
さて、ベテランはどうなのか。
「俳句」12月号特別作品50句を読んでいるうちに何だか少し腹が立ってきた。

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Shout to the Top

ウラハイでジャムの記事。
ジャムを解散したポール・ウェラーがスタイル・カウンシルをはじめた頃、オレは高校生だったか。
まあ、とにかくオシャレでかっこよかった。
当時は女子大生やOLにも人気があってキャーキャー言われてたけど、「えー?それって、なんか違う。」って思ってた。
「Shout to the Top」のイントロは佐野元春もマネしてた。


The Style Council - Shout to the Top

暗さもジャズも

暗さもジャズも映画によく似ショールとる  星野立子

ジャズという言葉を俳句に詠み込むのは難しいと思う。一口にジャズと言ってもひどく広義だし、ジャズという言葉の持つ雰囲気やイメージのカッコよさだけで安易に使うとたちまち薄っぺらな句になっちゃう。例えば、

どれも口美し晩夏のジャズ一団  金子兜太

という句を初めて見たとき、何だかB級青春映画のサブタイトルみたいで笑ってしまった。今もこの句に対する印象はほぼ変わっていない。つまりジャズという言葉を充分に消化しきれてないためにどこか無理があるような気がする。ジャズという言葉のインパクトに句が負けちゃってるんじゃないか、と。

そこへ行くと立子の句は肩に力が入ることなく自然体。ジャズの流れる薄暗い店の洒落た感じが素直に伝わってくるし、ジャズという言葉と無理に格闘することなく程よく距離を置いている。映画の一シーンの中に紛れ込んでしまったような作者の感覚を上手く言い止めているような気がする。

さて、立子が入った店ではどんなジャズが流れていたのか。




愛し合ってるかい?


Otis Redding live - Try a little tenderness

「チュイ~ン」、「チュイ~ン」、「チュイ~ン」

ウラハイ = 裏「週刊俳句」 にて、性懲りも無くまたブルース紹介してます。
「チュイ~ン」、「チュイ~ン」、「チュイ~ン」が聴きたい人はこちら。

ブルースの巨人(7)ブルースの巨人(7)
(1995/07/25)
スリム・ハーポ

商品詳細を見る


小学生習字展

笑えるのか。笑えないのか。
eweeee


ドント・ルック・バック

映画「ドント・ルック・バック 」の冒頭シーン。
正直、これでボブ・ディランにノックアウトされた。
後方で立ち話をしているのは詩人のアレン・ギンズバーグ。




俳句に熱中している自分をときどき不思議に思うことがある。数年前まではまさか自分が俳句に熱を上げることになろうとは思ってもみなかった。

音楽が好きだったから自然と音楽好きの仲間の中に自分の居場所があった。夜な夜なライブハウスに出かけて大酒を飲んで泥酔、という自堕落な毎日だったような気がする。よーするに「ただのバカ」だった。さすがに結婚して子供が出来てからは随分まともになったけれど...。それが、今は俳句。

俳句をはじめたことでそれまで付き合っていた連中とは全く違うタイプの(というか、今までに付き合ったことのないタイプの)人たちとの交流が出来た。そして、そこで一生懸命俳句を作っている自分がいる、ということが少し不思議なのである。

「これがオレか?」というという妙な感覚。この違和感はどこから来るのか。たぶん、今俳句を作っている自分が今まで生きてきた中で経験したことの無い「はじめての自分」だからだろうと思う。友人の中には「ハイク??へぇ~オマエ、変わってんな。」とか「ジジイみたいだな。」と言うヤツもいる。妻も「あんたの頭の中、俳句でいっぱいだね。」とイヤミなのか励ましなのかはたまた呆れているのか、ビミョーなニュアンスで言う。考えてみれば仕事をしている時も子供をあやしている時もいつでも頭の片隅に俳句があるというのもかなり異常な状態ではある。

このまま俳句を続けて、いったいどうしようというのだろうか。かつて「ただのバカ」だったオレは、今度は俳句によって「本当のバカ」に成ろうとしているのだろうか。

なんて、とりとめもなくバカなことを思っている今日この頃である。


振り向くな 振り向くな 後ろに は夢がない  寺山修司

調子に乗ってもういっちょ、

見たよ!あの映画 ・その2

映画好きな人と話すときは注意が必要です。
「○○○っていう映画。あのラストシーンはすごかったよね。」などと、まるでこちらがその映画を見ているのは大前提と言わんばかりに先手を打ってきます。
「そ、そんなのずるいぜ!」と思っても、時すでに遅し。
顔を赤らめ、シドロモドロしているうちにいつの間にか相手のペースに呑まれ、何とも言いようのない劣等感に陥ってしまいます。
映画論は先手必勝!なのです。

ga
 「バッファロー66」
監督 ヴィンセント・ギャロ
主演 ヴィンセント・ギャロ、クリスティーナ・リッチ

ダメダメ男のとってもキュートなラブストーリー。
ヴィンセント・ギャロのファッションに注目です。
小さめのライダース・ジャケットにスリムのパンツ。足元には真っ赤なブーツ。
それをいかにもきつそうに、そして少し猫背気味に着こなします。
ボクもこの映画を見た後はしばらくピタピタの洋服ばかり着ていました。
油っぽい長髪に無精髭の彼は決して二枚目ではないと思いますが、どこか憎めないダメダメ男特有の「母性本能くすぐりフェロモン」を放ちます。
「正統派の2枚目よりも、人間臭いギャロのようなタイプの方がカッコイイ!」
そう思っていたある日、飲み屋である女の子と話をしていると
「やっぱり男は外見よりも中身よねえ。」という話になりました。
ボクは嬉しくなって「どんな男がタイプなの?」と聞くと、彼女は「キムタク」と答えました。

('01.4.9)

バカバカしく生きる「へなちょこ人生」より

野良猫ロック 

日本映画で音楽がカッコイイのはやっぱりこのへんか?



野良猫ロック ワイルド・ジャンボ
監督:藤田敏八 出演:梶芽衣子、藤竜也、范文雀、地井武男、和田アキ子

アンナ・カリーナ

youtubeってすごい。
tenkiさんがおせーてくれたコレ。


もういっちょ、コレ。


アンナ、キュートです。タマリマセン。

見たよ!あの映画

ウラハイ = 裏「週刊俳句」 への原稿依頼をtenkiさんからいただいたのをきっかけにもう何年も前に自分のホームページ(当ブログの前身)に書いた記事をあれこれ読んでいた。
こんなこと書いていたんだと、懐かしく。恥ずかしながら、ちょっと紹介。
映画についてです。

見たよ!あの映画

映画を見るのはたいへんです。
暗い映画館の狭い椅子に座って同じ姿勢で長時間、トイレも行かずに集中しなくてはなりません。
ボリボリとポップコーンをほおばれば、隣の席の人があからさまに不快感を表します。
でも、映画に詳しいというだけで何だか文化人みたいです。
だからボクは映画好きな人と話をしている時、ぜーんぜん知らない映画の話題になると
「あー、あれね。あのカメラワークは斬新だよね。」などと雑誌の映画評に書いてあった記事を引用しながら、ついつい知ったかぶりをしてしまいます。
気になっていた映画、何となく見た映画、有名無名にかかわらず色々紹介して行きます。
映画好きな誰かと話をするときは負けずに言いましょう。
「見たよ!あの映画。」

ana
・その1 「はなればなれに」
監督 ジャン=リュック・ゴダール
主演 アンナ・カリーナ、クロード・ブラッスール、サミー・フレイ

以前、ボクが付き合っていた彼女は目が異常に大きく、顔全体とのバランスが少し変でした。
ボクは勝手に「アンナ・カリーナだって目が大きい。目だけはアンナ。」と自己暗示をかけるように自分に言い聞かせていました。(でもどちらかといえば松島とも子でした。)
アンナ・カリーナの顔は独特です。異常に大きい目、美人だけどどことなく暗くて冷たい印象があります。
この映画は、ゴダールのわりと初期の作品だそうですが、日本では最近公開されました。
アンナ・カリーナの「ちょっとタリナイお馬鹿さん」的な可愛らしさが男心をくすぐります。
ボクにはこういう女性がとても可愛らしく、愛おしく思えてしまいます。
クールでオシャレな映画ですがどこかドタバタ劇のようなコミカルなかわいらしさがあります。
主演の3人がパブらしき場所でソウル・ジャズに合わせてダンスを踊るシーンが印象的です。
※同じく、ゴダール監督作「女と男がいる舗道」の中でもアンナ・カリーナがジュークボックスから流れるラテン・ジャズに合わせて踊るシーンがありますが、ここでもやはりアンナのお馬鹿キュートぶりはタマリマセン。
映画を見た後、パルコに立ち寄って映画の中でクロード・ブラッスールが着ていたのと同じアーガイルのカーディガンを買いました。
カーディガンを買ったあと、すぐにトイレで着替えると、ボクは軽やかにダンスのステップを踏みながら家路を辿ったのでした。

('01.4.8)

大切に

ちっぽけなプライド。
つまらない見栄。
大切にしたいものです。

ザ・タイマーズ - ロックン仁義

セリフもイイ。

「おんつぼ」

ウラハイ = 裏「週刊俳句」 にて「おんつぼ」=「音楽のツボ」がはじまりました。
第一回目、担当しています。

カッコイイね

 ところでその評論家の解説はほとんどイメージの意味や分析に終始し、ぼくは非常に退屈な気分になってしまった。作品の背後にある製作の動機や思想が理解できなければこれらの作品の真の意味がまるで伝わらないかのような解説の仕方であった。.....彼の話を聞いていると絵画作品は感応するものではなく理解するものであるといわんばかりだった。そのためには相当知識が必要になってくる。.....芸術作品はこのような一部の知的な特定の人たちのためにあるのではなく、万人が鑑賞する機会が与えられているのである。.....もしこれらの作品に大衆が感動するとしたら、批評家の分析の結果ではなく、作品が発するパワーやエネルギーのアウラーではないだろうか。
(横尾忠則著「名画感応術」)

こーゆーことって絵画に限らず、あらゆる創作や表現において言えることでは、と思う。もちろん俳句だって。

「何が描かれているのか」ということは、さほど重要ではない。観ればわかる程度でいいと思う。作品の前では衣服のボタンをはずして、左右に大きく開いてみせるような、そんな開かれた心で受け入れる気持ちが重要である。そうすれば作家や作品の無意識な情報が、ストレートにあなたの魂に語りかけてくるにちがいない。
(同)

カッコイイね。

名画感応術 (知恵の森文庫)名画感応術 (知恵の森文庫)
(2001/06)
横尾 忠則

商品詳細を見る


立冬

歯医者の待合室で。
「○○さん、この頃足腰が弱って家の中で這って生活してるみたいよ。」
「へぇ、おいくつになるの?」
「八十八。」
「まあ、まだ若いのに...。」

いろいろあります。
今日、立冬。

秋思

ゼームショの人が来た。
まあ、やましいことはないからいいけど...。
ちょっとキンチョー。
商売のこと、それなりに不安に思うときはある。
子供達が大きくなるまで続けていられるだろうか、とか。

息子はアジのひらきを「アジのひらき」という名前の魚だと思っているらしい。

終了

「一日十句」30

冬の蛇水を汲むとき光りけり
一寸法師一寸の懐手
冬木立帰心のごとくありにけり
猫を飼ふ女さびしき日向ぼこ
寒き夜の人の反吐見て帰りけり
冬月やごつんと舫船当たる
花八手うがひの声で答へけり
溶接の火の粉見ている雪催
見つめたる冬木のほかもすべて冬木
折りたたむ椅子あり枯野見尽くして


さあ、終わり。ともかく30日。
疲れた。
まだ続けようと思えば続くけど...。
これ以上駄句を積み上げてもしょうがない。
正直、訳がわからなくなっただけかも。

届く

「一日十句」29

唐土にもろもろの智者鳥渡る
ぽきぽきと膝折る冬のはじめかな
痩せながら締めたる帯や桃青忌
冬蝶の見てゐるうちに現はるる
畳目のささやいている小春かな
懐に札束のある懐手
片目閉ぢ覗くカメラや石蕗の花
冬日射す希望に似たり希望でなし
煙草火を落す枯野の真中かな
野良犬の地を嗅ぐほかは冬の空


川口重美句集届く。

こんなにも

「一日十句」28

冬に入るトラック曲がるとき喋る
郵便物妻が受け取り冬に入る
初時雨厨の窓を曇らせて
冬耕の手を止め金歯見せて笑ふ
いつのまに時雨となりぬ喫茶店
音立てて紙袋より冬林檎
冬ざれや薄くなりたるリーゼント
おでん酒犬の待たせてありにけり
大マスク妻とは知らず過ぎにけり
すが漏りや眠るとき歯を食いしばる

赤ん坊がいるとこんなにも自分の時間がないのかと。

それなりに

「一日十句」27

ピカピカのピカソの頭文化の日
ファンファーレ鳴つて文化の日と気付く
赤ん坊の泣いて汗ばむ冬隣
光る星光らぬ星や冬に入る
冬ざれや町にひとつのATM
冬眠の背中むずむずしてをりぬ
冬闇に耳かきの先当たりけり
湯たんぽに大きく名前書いてある
大根を下ろすときもの言えぬかな
おでんの灯ともりて株価落ち着きぬ

十一月。
やっぱり、それなりに寒くなるんですね。
尚野頼子さんの句集「蝶の墓」が届く。
あをあをと蝶の捨身は昨日より 頼子


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