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ああ、

凩やドアに郵便受の蓋  榮 猿丸
「週刊俳句」第86号より)

人の居ない風景である。「ドア」も「郵便受」も人が作った人の生活ための「物」なのに、ドア周辺の景色の中にはまったく人の姿が見えて来ない。ドアの向こうにあるはずの家族の暮しも、である。俳句はよく「物に語らせる」と言うが、掲句は無機質な素材をただ「ドア」、「郵便受」、「蓋」と淡々とクローズアップさせてゆくだけで、決してそれらの物が何かを語っているようにも思えない。それらは人が作ったものでありながら、人の生活と切り離されて単なる「物」として提示されているだけで、動きや時間の経過といったものもほとんど感じられない。敢えて言えば「凩」の中で郵便受の蓋が時折、かすかに震えるくらいであろうか。いわゆる俳句的な「トリビアリズムすれすれ」の感じともどこか違う、生活というナマなものを一切排除した妙な虚無感。
この感覚的な風景を思いながら「ああ、これ、『サバービア俳句』だ。」と今さらながら思ったのである。

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この句、私も最初にチェック!
郵便受けを内側から空けるたびに、風が吹き込んできそう。イメージの連鎖が生まれてくる句かと。

和人さま

こんにちは。
この句のこういうスタイルに、作者のこだわりがあるんだと思います。

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